花園ラグビー、

今年はラグビーW杯ですが、
高校ラグビー、強豪の東福岡
流石に残っていますね。
対するは初決勝戦進出の兵庫
報徳学園。



花園ラグビー場は、1926年に
競馬場を作ったものの儲けが
無かったのか短期間に閉鎖と
なったようで、
そんなことがある前後に電車
での奈良への往復に通りかか
った秩父宮さんが、車窓から
見える広大な風景を見て、
「この辺りにラグビー場を」
と提案があったそうですが、
時代も時代、らくびーって?
な感覚のオッサン達は、
「はは~よろしおまんなぁ」
とか調子よく受け流していた
ところ、次に奈良に来た頃に
「まだ作らんのかラグビー場」
と聞かれて、当時は皇族様は
雲の上のような御方な感覚だ
から、
「こら、本気で言うとんがな」
と慌てて造成したらしいです。


そんな戦前からの戦中の紆余
曲折を経て、1960年代に入っ
てから全国高校ラグビー大会
として始まりました。
現在は近鉄電車・東花園駅を
下りると一直線に競技場への
道が造成されていますが、
それまでは民家農家の狭い道
を辿って行かねばならずで、
先輩宅が住まいから車を出庫
させるのも大会中は大変だっ
たとか。
路上にゴミが棄てられるとか
まぁ、何かと住民には大変な
思いを抱かせたとか。


一本道の電柱には歴代の優勝
校のプレートが表示されたり
その当時を思い出させます。
京都伏見工、大阪工大付、
大阪啓光学園、秋田工、東京
目黒、奈良天理など強豪校が
浮かんで来ます。
記虎監督に率いられ常勝だっ
た啓光学園は、少子化の影響
から大工大付属と同じ常翔の
傘下になりました。


時代毎に学校側の方針尽力で
強豪校の顔ぶれが変わります。
JR新神戸駅近くの広い霊園
から神戸の海を見下ろしてい
る平尾誠二さんが伏見工から
同大時代、神戸製鋼から釜石
の松尾時代に続く前後の時代
が思い返されます。


個人的には、大畑大介さんの
父上とは懇意にさせて貰って
いました。

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