のような無いような

仏映画の名優、
ジャン・ギャバン、
子供の頃、父兄世代には
オトコの憧れみたいな存在
であった時代がありました。
アラン・ドロンが若僧に
見える存在感、
生きていたら
120歳辺りだから当然ですね。
笠智衆と数日違い同い年です。


同い年でも飄々とした人間味
重厚な存在感とタイプが全く
違うものです。


日本では衰退する時代劇の
大物オジサン役者が一つの
モデルとしたような存在で
あった感じです。

主に女が支えている昨今の映画界
オジサンが短い脚を片足上げて
カッコ付けても
「アンタは散歩中のワンちゃんか?」
とツッコマレかねません。


(  暗黒街のふたり )

そんな彼の1950年映画
「港のマリー」


セリフに白髪を指摘する箇所
がありますが、未だ40代半ば、
同い年の笠智衆が東京物語で
老いた父親役を演じたのも、
49歳ですから驚きです。
(何度も書いてますね^^)


シェルブールで親から継いだ
ホテルや飲食業、映画館等を
所有経営するギャバン。


映画は情婦の父の葬儀に向かう
場面から始まります。

仔細に話すと長くなりますので
ダイジェストで紹介すると、
情婦には実家に妹が居ます。
妹が働く酒場でギャバンが初めて
彼女を知る時の表情が・・・

リッチで器の大きさ、余裕を
感じさせる男と、家系だと言う
姉譲りの勝ち気な性格のマリー、
二人が出会い、父と娘の年齢差
がありながら近づいては離れる。



いやいやダメだダメだ・・・と
マリーへの思いを絶ち音信を
途絶えさせシェルブールに帰る。
マリーに思いを寄せる若い男は
ギャバンとの関係を疑い捨て鉢
になったところを、ギャバンの
車に接触しシェルブールで治療
を受けるため村から消える。


過疎で封建的な港町から
ギャバンを訪ねてシェルブール
に来たマリー。


其処に自分に思いを寄せる男が
姉と寝ているなんて現実、
マリーは自分には不似合いだと
ギャバンに冷たくあしらわれ、
住いに帰るバスに乗る。
見送ったギャバンにマリーを
知る男から電話が来る、
「マリーは自棄になって死ぬ
様子だ」と。
慌てて追いかけるギャバン。


フルスピードで追いついた。
「なにを言われようがいいさ」

指環代わりに店の鍵を手渡す。


ぉいぉい、ハタチ前の相手ですよ、
ジジイに都合の良い映画ですねぇ。
貧しいマリーに財産を残してやる。
まっ、それも
ひとつの生き方なのでしょう。
こういう筋立ても男の存在感が
薄れて来た近ごろでは見かける
ことも無くなり、最近では年上の
熟女が若い男を、そんな設定が
チラホラと見かけます。


と思っていたら、宇宙人がとか
ワケワカランことを言ってジジイ
が複数の女を囲うなんて事件も
起こっています。
同様の犯罪歴があるとか、
ホント、世の中は多種多様に広く
並な神経では想像が及ばない事件
が起こるものです。


男と女、そしてカネに地位名誉
そういうのに執着が消えない限り
犯罪が繰り返されて歴史を重ねて
ゆくのでしょう。


おだやかに生きていれば、
いい世の中になるのに・・・


愛するもの、愛されるもの
それらが出会って身近にあれば
一生が、楽しいでしょうね、



Carole King - You’ve Got A Friend (Lyrics) 和訳


春の華やかさに秘めた儚さが西行には
よく似合います。

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