重なった電報

ブギウギを観ていて
「ハハキトク」の電報、
いよいよ、来たか・・・




現代での電報は祝電などの
利用で残されているけれど、
家庭電話も普及していない
時代に簡潔重宝なシステム
だった。
父が逝った後、世代交代の
ように親族の訃報が続いた。
父の医療費でスッカラカン
となった母には義理を繋ぐ
ことに大変な頃だったんだ
と思い返している。


自分にも同じような記憶が
ある。
何処からの帰りだったのか
失念したが、
母と二人で帰宅する頃に
耳鳴りが、ツーンと鳴った
のを憶えている。
入口に挟み込まれた重なる
電報を手にし開こうとする
母はいったい、どんな気持
ちでいたのか・・・
祖母の訃報だった。



或る日、独りでいると
見知らぬ婆さんが住まいに
来た。
初対面だった。
父の入院時に、母の手が
取られるから私の面倒を
見る為に祖母が四国から
やって来たのだった。


しばらく二人で暮らした。
よく笑う明るい祖母だった。
焦げた御飯で甘酒を作って
くれたが、慣れないもので
拒絶したのを、今会えたら
土下座をして詫びたい。
父の葬儀の頃迄、二人で
暮らした。


ほんの短い期間だったけれ
ど、鮮明に憶えている。
其れから一年半後に食事中
に立ち上がった際に倒れ、
そのまま逝った。
本人には幸せな去り方だった。


私の母は、それから何十年後
二人の孫と会えて、某年10月
の下旬、早朝の朝陽が窓から
射す頃に静かに逝った。


手元に残されている電報は
母が大事にしていた遺品だ。
何十年も過ぎたいま。
其の日の出来事は、
つい先だってに起きたことの
ように脳裏に浮かんで来る。



追伸。
闘病中の金沢の、てんこちゃん
上野の🐼に逢いに行ったと
思ったら、ブログが消えてる。
お元気ならいいんだけど、
心配になるよね、忽然と居なく
なるのは・・・

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