70年代、蛸島へ

能登半島の地震、
過疎地域にある子供達が実家を
離れ、高齢者が住まいに残る。
夫婦揃っていれば心強いだろう
けど自分のように独りになると
なんとも、心細いことかと。
先端の蛸島で、
初めてサザエを食べた70年代の
初頭、穏やかな民宿の住民たち。
町の子供達に漁港になるのかな?
連れて行って貰ったりした。
あの子達も今では50歳を越える。


一家の主や孫の居るバアチャン
で能登に居るのだろうか?



六角さんが「呑み鉄」で蛸島
を訪ねる回があったけれど、
鉄道は廃止となり駅舎は廃屋
となっていた。
この駅を降りて、民宿の親父
さんと知り合ったんだよと
思ったけれど・・・・・


この画像も、何十年と生きた
中の現地の子供達との、
一期一会となる。
自分も、よくまぁこんなに髪
を伸ばし放題だったもので、
尻の青さが気恥ずかしい_(._.)_


能登への観光となると輪島に
なるんだろうけど、地味な地
を目指すヘソマガリは蛸島に
なった。
観光客など全く見かけなかった。
静かで穏やかな数日だった。
冬季には激しく変貌するだろう
けどね。
日本海が荒れようと、地べたが
揺れるよりはいいわな・・・・
被害が大きく無かったことを
願うばかりです。

×

非ログインユーザーとして返信する