独りがたり

亡くなった映画監督、ゴダールは
安楽死だったとの記事が10日発売の
文春に掲載されているらしい。


法相がなに言ったとか。
マスコミの仕事が途絶えないように
👄の軽さを騒ぎ立てて、さも大きな
社会現象として祭り上げて、
一般もヒマにあかして同調している
そんな時代になっている。
自分の失言は発言の自由で逃げて
敵対する相手には厳しく迫る。
身勝手で窮屈な社会だわ。


何を言ったかが問題では無くて、
何をしたか?が重要ではないのか。
イメージだけの政治批判も溢れて
自身の甘さを忘れているのでは
無いか?と自身を戒めたい。



昨日、夜も更けた時間帯に、
嗚呼そうだったと注文していた本が
届いていることに気付いて
一階のエントランスの郵便受けに
行く。
忘れるなんて、・・・
で、届いたのが、


長兄、次兄世代が楽しそうに話し
合っている様子が、どんなものか
と・・・
、というより穏やかな、お二人が
関心ある好きな事を、
そうだねそうだねと相槌を打ちな
がらの流れに添っていたい、の
思いから読んでみたくなりました。


川本さんの「あとがき」にあるが
幸せに思えた池内さんは其の後に
亡くなられた。
生存されている間に話しが出来た
と変わるけれど、幸せには変わり
ない。
対談の終わり頃には
池内さんが弱って居られることを
心配していたと記述されている。


川本さんは朝日新聞の記者だった
方で、学生運動激動の時代に事件
に関わってしまって解雇される。


彼には映画監督、成瀬己喜男の
数々の名作を教えて貰った。
「浮雲」なんて世界のベストテン
に数えられるほどの男女を描く
名画です。



「女が階段を上がる時」を観返し
人間模様は現代と変わらない。
夫に先立たれた高峰秀子が銀座の
夜の世界のママになる。
華やかな世界を生業にしながら
実生活では思い悩むことばかり。
カネや上流を目指して蠢く多くの
泥臭い人波の中で幸せを手にする
ことは容易では無い。



善い人だと信じればとんでもない
食わせ者だったり、心底惚れたと
思える相手には家庭がある。
許しても家庭は棄てられないと
逃げて行く。
札束を積み、女なら誰でもいい、
そんな世界で、どのように生き延
びて行けるのか、
女は生き続ける為に今夜も銀座の
川の流れに沿うように店のドアに
向かって階段を上がる。


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