老いた身を寄せる

場所を一定し、其処に集う
人達の有りようを取材する
独特なTV番組、
「ドキュメント72時間」が
昨夜に取材していたのは、
亡妻が育った区の一角だった。



乗鞍荘、穂高荘、白馬荘と
三棟が建ち並ぶ建物を最初に
見かけたのは70年代だから
相当に古い。
建ったのは60年代の半ばらしい。


山好きなオーナーだったのかな、
登山好きな方や学生の住まいかと
思っていたが、
建った当時は、そうであったかも
しれないけれど、現在の様子は
老人ホームのようだった。
多くが年金や生活保護で日常を
送る高齢者、ほぼ独り者のよう
だった、
夫を亡くし独りになり広い住まい
も必要ナシで単身転がり込んだと
言われる老女。
九州や関東から就職で流れて大阪
に辿り着き現在に至ると話す男達。
午前から建物の一画で寄り合って
酒を呑む、持ち寄って食事をする
とか、酔って足元もあやしいとか
の日常が続く。


もう若くも無く流れに身を任せる
しか無い、そんな方達が月4万程
共同風呂、共同トイレ付の建物に
身を寄せる。
自分が育った昭和の様子を感じた。


自身が収めた年金積立で算出する
年金額が現在の自身を支える。
それは、わかっているけれど、
将来の老後の事など考えて生きる
ものばかりではない。
今になって気付く、あ~すれば
こ~すれば良かった・・・
かと言って人生は戻れない。
切ないね。
仕事中にケガをして後遺症で足を
引きづりながら洗濯し階段を上がり、
60代の半ばを過ぎた男が屋上で
干している。


そんな方達が底辺を支えて日本が
栄えた。
だからと言って、
言われたことに従っただけでもある
ホワイトとかブルーとか分けられた
考え方もあった、
どちらが優れているとかの考え方で
バランスを乱さずに、
困ったら互助で手を差し交わす、


それが当然だとか言うのではなく、
お互いが気持ちを届かせて、気配り
感謝とかの心情を交わせることが
沈みつつある此れからの時代には
欠かせないことなんだろうな。
と感じながら観ていた。


うどんの一杯が一生の恩、
そんな感謝の思いは
懐にカネがあれば感じも薄いもの
でもあるんじゃないかな。
乾いた世の中なんて楽しくないよね、



ドキュメント72時間では
こんなのもあったな・・・

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