災害御免乞う無事通過


群青 谷村新司


大阪は台風の目に入る進路です。
雨は少ないけど、風が強かった
今は目の中から外周寄りで
不気味な静けさ。


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[4K]NHK特集 
紫電改 最後の戦闘機


が再放送されていた。
零戦に勝る性能を持った
戦争終盤に登場した戦闘機。


うちの父は鉄道会社勤めで
兵役免除対象者で
非国民でした^^
ですから、
戦争時の話しなどは
幼い頃に一言も聞かなかった。
母が疎開先で
機銃掃射を受けた際に
道に堕ちた薬莢を持っていて、
それも転宅を繰り返すうちに
無くしました。


叔父は数年、中国大陸に残り
帰国した経験がありましたが、
同様に話しを聞くことは
無かった。
紫電改は漫画家ちばてつやの
「紫電改のタカ」で知った程度。



最期に見送られて紫電改が大空に
消えてゆく描写には、
子供でありながら泣けたものでした。


戦後、米軍により日本国内に残る
全機が焼却され
一機も国内に無かった紫電改が
1979年に愛媛県、現在の愛南町の
日土湾、海底40mに漁船から
落とした錨を探しに海底に向った際に
沈んだ機体を発見したそうです。


遺族が見守る前で貝殻に覆われた
紫電改の機体が夏の海に浮かび上がる。


搭乗していたのは誰だったのか?
当時の資料から数人が浮かび上がるが、
引き上げられた機体からは手掛かり無く
明らかにはなっていない。



プラモデルが人気の頃、戦艦大和や
戦闘機ゼロ戦、など戦争の怖ろしさを
知らずに楽しんだものでした。
月刊誌の「丸」が現在も廃刊されずに
発行されているのに驚きます。
そんな資料から自分なりの連合艦隊を
作り上げるなんてこともしてました。
いやいや、月刊誌・丸の現存に驚きます。


職場で新人の頃、大先輩に難波に軍歌
を唄う飲み屋があると話したとき、
辛い時代の頃を思い出したくも無いと
言うかと思ったら、興味深々に何処だ
と尋ねられて内心驚いたものです。
イケーイケー、大和魂だ!!とか後方で
言っている元将校なんて、
こんな程度が正体なのでしょうか?


映画「泥の河」で、父の田村高広が
小学生の息子の友人が「戦友」を
唄う場面で聴き入りますが、
戦場で多くが亡くなって逝く様子を
思い出すような田村さんの父ぶりが
印象的でした。


流行した時代に生きて経験した者が
語れる流行歌と自分は思っています。
だから、軍歌など大人達が歌っていた
様子から憶えた歌を、知ったかぶって
唄うなんて、滑稽としか感じませんが
あの子役の戦友には、亡くした父を
思う様な響きを感じて、
聴き入ってしまう場面でした。
少年の目は書かれた歌詞を見ながら
そんな感じもしますけどね^^



Muddy River Kôhei Oguri, 1981


今朝の一献亭
朝昼兼用食は焼鯖、豚汁に
大根おろし、質素でございます。

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