意外な昔話に


夏の日の想い出(日野てる子)昭和40年



兄姉世代が幼い頃のニッポン



幼い頃、法事で母と徳島に
帰省した際に盲腸の痛みが
始まって手術を受けた。
手束病院だった。
部分麻酔だったようで、
手術途中にパシッと痛みが
走り、瞬時に足が反応して
医療器具を蹴り落としたり
して、ワルガキのイタズラ
のように先生に注意された
ことを憶えている。
「なんでやネン」と
子供心に思ったけどね^^


窓の外からは今では見通せ
ないが地福寺の境内。
定期に時間になれば紙芝居
がやって来た。
藤の花の名所となる地福寺


立札には
「いしい恋しや色香もなびく
名代名所の 藤の花」と
詠まれていたのを憶えている。
町花にもなっていたかな。


二階席もあった芝居小屋から
映画館になったところも遠い
昔に無くなった。
山田洋次映画で舞台となった
脇町オデオン座は現在でも
映画もあれば音楽や落語ほか
文化イベントで趣向をこらし
存続維持に努力されている。



御主人が単身赴任から戻られた
鳴門のブロガーさん、
長く御無沙汰ですね。
プリシラさんだったか・・・・


彼女なら脇町辺りは詳しいかと。
お姉さんの嫁ぎ先が石井町だと
聞いて驚いたものですが、・・


冠婚葬祭の度に勤めを終えて
からの母に連れられ、暗い海を
船で渡った四国、
母の勤めの影響で出航時間の
時間帯で乗船する場所が変わり
ました。
昔は大阪の各地に乗船場があり
ました。
大阪の港から煌びやかな神戸を
中継に淡路の灯りを見ながら
徳島に。
あるいは、電車で和歌山に出て
船に乗り大杉漣が育った小松島
港、そこには竹に巻いた焼竹輪
の名物があり、実に美味かった。


爺さん婆ちゃんが居た住まいは
取り壊されて近代建築に変って
しまった。
それよりもなによりも、
当時に元気だったオジやオバ
たちが既に此の世に居ない。
兄姉世代も高齢者だ、
同世代だって亡くなったのが
居る。
幼い記憶に残る町が知らない
場所になって変ってゆく。


今朝昼のお食事処・一献亭

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