穐吉さんと3.17

long yellow road
ジャズ伝説・穐吉敏子の94年
が放送されていた。
満州では看護婦として集団自決
になったかも、とは驚いた。
引き揚げ後、別府のダンスホー
ルの軒先にピアニスト募集との
貼り紙を見たところから人生の
変換、渡米して現在90代の半ば
を迎えられている。


帰国の際には、国内JAZZ普及に
尽力され、ジャズ喫茶陸前高田
から岩手県開運橋のジョニーに
転じた照井さんが、帰国の際に
店内ライヴを無料で出てくれた
恩返しとばかり各地の公演先に
付き人のように居られる。


想像も出来ない何もない戦後の
時代を懸命に生きられて現在は
老いとの闘い。
言葉の端々に力強さが溢れている。
大人だなぁ・・・
我々が見た、親の世代の大人の
姿を教えて貰える。


2006年の帰国時の模様。

Toshiko Akiyoshi Big Band 秋吉敏子デビュー60周年コンサート前編 (2006)



Toshiko Akiyoshi Quintet - So What
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3月17日、オヤジの命日だった。
其の年の日は快晴だった。
まだ舗装の無い小石敷きの道を
石を蹴りながら小学校から帰宅する
と、途中の住いのおばさんが、
何も言わずにいて妙な気配を感じた。
住いが近づくと人が忙しげに動いて
子供心に覚悟した。
何十年過ぎた後でも父と母の最期の
日は明るい陽射しが記憶に残る。


前日に四国から出て来ていた祖母と
病院に行っていた。
父は最期を自覚したのか母親の言う
ことを、よく聞け、
そんなことを言っていた。
ほったらかして先に逝きやがって
人任せなこと言うなよと^^
当時は、
そんなことを思わないけどね。
男がしっかりしないとダメなんだよ。
おいらは、オヤジに勝てたと思う。
妻さんの努力を下支えしただけだけ
どね、


富士山麓の河口湖だったかな?

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